東京・名古屋・大阪で大反響を呼んだ「行方不明展」。
現在は札幌での開催も予定されており、「気になるけどちょっと怖い」「実際どんな展示なの?」という声が多く聞かれます。
この記事では、僕が実際に訪れた体験をもとに、印象的だった展示や感じたことを紹介します。
※展示物はすべてフィクション(創作)であり、実在の事件・人物・団体とは一切関係ありません。
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行方不明展とは?

「行方不明」とは、出かけたまま帰ってこない・行き先や居場所がわからない状態を指します。
会場には、貼り紙・遺留品・都市伝説など、「行方不明」にまつわるさまざまな“痕跡”が展示されていました。
すべてがフィクションのはずなのに、「これは本当に作り物なの?」と思ってしまうほどリアル。
現実と虚構の境界があいまいになるような、不思議な没入感がありました。
印象に残った展示たち

① 身元不明 ―「人」にまつわる行方不明

まず目を引いたのは、街角でよく見かけるような「行方不明者を探しています」という貼り紙。
ネット掲示板のスクリーンショット、防犯カメラ映像などもリアルに再現されていて、思わず息を呑みました。


中には「娘を探しています」という家族の声や、「待っているよ、早く帰ってきてね」と手書きされたメッセージも。
フィクションと分かっていても胸が締めつけられるようでした。
ほかにも、バス停に置かれたお金、大量の携帯電話や吸い殻など“痕跡”として残された展示もあり、人の不在を強く感じました。



② 「ゆうくん」を探す貼り紙

行方不明になったとされる「ゆうくん」の貼り紙。
驚いたのは、写真が存在しないために、複数のイラストや写真を組み合わせて“ゆうくん”の容姿を再構築していた点です。
架空の人物でありながら、存在していたような気さえしてしまう不気味さがありました。
③ 所在不明 ―「場所」にまつわる行方不明

「この景色、見たことありますか?」という貼り紙や、存在しない街の地図。
夢の中だけで行けた“異界駅”への地図、閉鎖されたブログや掲示板のページ――。

④ 被写体のない家族写真

老人ホームの女性が大切にしていたという一枚。
家族の姿は写っていませんが、彼女は「これは家族写真」だと言っていたそうです。
「家族で見た景色こそ、家族そのもの」――そんな言葉が浮かぶようで、静かな感動がありました。
⑤ 壁に向けて置かれた双眼鏡

壁に穴はなく、ただ立てかけられた双眼鏡。
とある観光協会に置かれていたそうで、夜中に覗くと「違う場所が見える」と噂されたもの。
科学では説明できない、まさに“異界への窓”のようでした。
⑥ 写真がない写真立て

児童養護施設の職員室にあったという写真立て。
中は空なのに、誰も不自然に感じなかったそうです。
児童からは、「きれいな海の写真が入っていた気がする」という証言もあり、まるで記憶ごと消えたような不思議さを感じました。
⑦ 出所不明 ―「もの」にまつわる行方不明

持ち主のわからない忘れ物たち。中でも印象的だったのは、
- 詳細不明の家族写真(場所すら不明)
- 「ご自由にお取りください」と置かれていた鏡(覗くと背後に誰かが笑うという)
- 「息子を探してほしい」と書かれた手書きのハガキ
- 存在しない企業ロゴ入りのボールペン




どれも現実にありそうで、どこか不穏。
「物」にも記憶や感情が宿るような不思議な展示群でした。
⑧ 真偽不明 ―「記憶」にまつわる行方不明

ここからはさらに“記憶のあやふやさ”を突く展示が続きます。
- 遊んだ記憶ごとそこに押し込んだような、壁と棚の隙間に押し込まれた熊のぬいぐるみ
- 家族の絵にある“空白のスペース”と存在しない兄の記憶
- 自分を探すために貼られた「私を探しています」の紙
- 誰も行ったことがないのに懐かしさを感じると複数名が答えた風景の写真




“懐かしいのに知らない”という感覚、きっと誰もが一度は経験したことがあるのではないでしょうか。
行方不明展は、そんな曖昧な記憶や感情を可視化してくれる場所でもありました。
まとめ:行方不明展は「記憶」と「存在」の境界を体験する場所

フィクションでありながら、妙に現実味のある展示の数々。
不気味なのに目が離せず、どこか切なささえ感じました。
「行方不明」とは、人や物がいなくなるだけでなく、記憶の中から“存在が消える”ことなのかもしれません。
もしあなたの街で開催されたら、ぜひ足を運んでみてください。
きっと“自分の心に刺さる不明”と出会えるはずです。
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